先日、妻との会話の中で、
『あの頃は、暇があればアマプラばっかりだったな』
と、当時の至らなさを苦笑いしながら話しました。
30代後半。仕事の幅も広がり、責任も増え、会社員として“脂がのってくる”この時期に──
『このまま仕事だけで人生を終えていいのか?』
あの時、そう感じることができて本当によかったと思っています。
子育ても軌道に乗り、少しだけ自分の時間ができ始めたときに、わたしが感じた“空白”と、その埋め方。今回は、そんな転機のリアルな記録と、わたしが見つけた『新しい歩き方』を綴ってみようと思います。
20代:仕事一筋だった自分▶がむしゃらだったことに後悔はない。
20歳から社会人としてサラリーマンになったヒゲハレ。
結婚するまでの8年間は、がむしゃらに仕事に没頭してきました。
夜の23時過ぎまで会社の机にしがみついていたこともあります。
どれだけ残業をしても辛くはなく、『あの時間も悪きゃなかったな』と今では懐かしさすら感じます。
わたしはバブルがはじける直前、昭和後期の生まれ。いわゆる『プレッシャー世代』。
就職氷河期を経験された諸先輩を見て育ってきました。
そもそも、人生なんて山あり谷あり
ということをどこかで覚悟しています。
わたしたちの世代は多少のプレッシャーではへこたれず、残業も『余暇を存分に楽しむため!』なんて思いながら単純に一生懸命、仕事に励んでいたワケです。
そんな余暇には、野球、セーリング、スノーボード、旅行など、いろんな趣味に打ち込んでいた時期でもあり、職場も含め、いろんなところに多くの仲間がいて充実した時間を送っていました。

30代:家族を持ち、役割が増えた▶仕事で稼ぐことが唯一の取柄という孤独。
結婚してからは、家族を支える大黒柱に…というほどではありませんが、
『家族を養っていかないと』という責任感は、いつしか当然のように根づいていました。
もう終身雇用の時代ではないとか、定年が70歳を超えるとか、そんな話も聞こえてくるけど、どこか他人ごとで——
家族のためだもの、今の仕事をこのまま定年まで続けなきゃな。
と、疑問にすら思っていませんでした。
仕事と家庭を優先するうちに、かつての趣味はひとつ、またひとつと消えていきました。
そして残ったのは
『家庭』と『仕事』だけ。
それでも家庭では、母親には遠く及ばず、子育てでも無力さを感じることが多く、家事だって、やっている“つもり”で力になれていなかったと思います。
そんなわたしは『仕事で稼ぐ』。
これが唯一、自分のできることだったのです。
そんな毎日を送りながら、自分が働いてお金を運んでくるだけの存在に思えて、どこか孤独を感じながら仕事をしていたのがこの時期でした。

気づき:子育てが少し落ち着いた頃に、現れたぽっかりとした空白▶ 残ったのは『仕事』だけ。
そんな毎日を過ごしながら月日がたち、30代中盤を迎えると、息子が小学校にあがり、以前よりも手がかからなくなってきました。
すると、わたしが自由に使える時間が少しずつ増えてきたんです。
たぶん、家庭を持つとはどういうことか少しずつ理解できてきて、仕事や家事の両立のコツもつかめてきたからかもしれません。
そんな中でふと感じたのは、
『心のゆとり』――ではなく、『生活の余白』。
そして、こう思ったのです。
――あれ? わたし、今なにしてる?
気づけば、わたしに残っていたのは『仕事』だけでした。
趣味はやめ、人とのつながりもなく、暇なときはアマプラやYouTubeを眺める。
そんな毎日を繰り返す自分がそこにいました。
もちろん、アマプラやYouTubeが悪いわけではありません。実際、YouTubeはインスタを始めるきっかけにもなりましたし、アマプラは豊富なインプットの場でもあります。最近も映画『ハケンアニメ!』を観て、やる気を補充したばかりです😊
映画、TV番組、ライブTV、スポーツを観る【Amazon Prime Video】

でも、昼は仕事、夜は家事。空いた時間はアマプラかYouTube…
そんな30代中盤のわたしは、こう自問しました。
『もし、仕事以外に、何もなくなったら?』
この問いに、あなたならどう答えますか?
わたしはその答えが、『生活の余白』の使い方にあると思っています。
その余白に、小さな一歩を踏み出してみること——それが、自分の世界を少しずつ広げてくれる。
後編では、そんな『空白』をどう使いはじめたのか。家庭と仕事の往復だけでは終わらせない、『わたしらしい人生』を取り戻すための実体験をお話しします。